いのちの継承
−会津の食から−
鈴木真也
●食から振り返る歴史●
vol.1 「飢餓」
vol.2 生き延びるための飽くなき挑戦
vol.3 下級武士たちの 食生活
vol.4 北前船の隆盛期(1)
vol.5 北前船の隆盛期(2)
vol.6 松尾の梨
vol.7 豆腐
vol.8 鯉
vol.9 芋煮
vol.10 鮭
vol.11 鯛
vol.12 鶴
vol.13 武士料理の料理人の流れを汲む人
vol.14 鮒
vol.15 こづゆ(重)
vol.16 器
vol.17 小笠原流
vol.18 日本奥地紀行
vol.19 海鼠(なまこ)
vol.20 蕎麦(麺食)
vol.21 婚礼料理
vol.22 消えた料理
vol.23 卵
vol.24 精進料理-エゴの分布-
vol.25 幕末検見日記
vol.26 東遊雑記
vol.27 精進料理 その1
vol.28 奥会津の精進料理 
その1
vol.29 精進料理 その2
vol.30 江戸前の鮨 登場
vol.31 会津武家料理復元記
vol.32 会津の食を訪ね歩いて<栃けえ>
vol.33 山椒ゆべし
奥会津書房の出版物
電子出版
新聞掲載コラム
 
江戸前の鮨 登場

vol.30

 会津若松市の旧大工町に鮨(すし)屋がある。「蛇の目寿司」。今の経営者は後藤マツ子さんである。長男の良明さんと娘さんの三人でのれんを守り、市内の人々に愛されている。

 ここが、江戸前の握り鮨を始めた会津で最も古い店である。創業は昭和七年。先代の後藤銀次郎氏は江戸っ子だったが縁あって若松に移り住んだ。もともと鮨職人だったのであるが、何を思ったか、会津で初めてのタクシー会社を東山温泉に構える。その名も「桜自動車」。温泉客などを相手に、結構忙しかったという。いろいろなことがあって市街にもタクシー会社をつくったりしたが、昭和七年には現在地に鮨屋を開業した。

 会津で初めての生鮨。もの珍しさもあって店繁盛。マツ子さんが蛇の目に嫁いできたのが昭和十七年。戦争中のことであった。当時は時代を反映して軍人のお客がとても多かった。`公用`と書かれた腕章をつけて十人くらいでよく食べにきたという。戦時中は商売を続けるのにも大変な苦労をした。戦争が激しくなると米の配給がストップしてしまった。仕方がないので、変わりにソーメンを細かく砕いて、ゆでて酢とあわせてシャリに見立て、握り鮨にしたり巻き鮨にしたりしたという。そのうちソーメンの配給もなくなり、変わりにパンが配給になった。そこで今度はパンに野菜の煮物などを挟んだ`戦時サンドイッチ`を売った。それでも人々は木の整理札を手に、店の前に行列をつくったという。店で食べる人は少なく、人々は大切にそれを家に持ち帰ったそうである。最後にはパンの配給もなくなり、赤砂糖しか来なくなった。

 昭和十八年、そんな中で長女が生まれた。二十二年には二女が生まれ店も営業を再開して二十七年には良明さんが生まれた。貧しく、苦労の多い時期だったが一番幸福な時代だった、とマツ子さんは語ってくれた。

 ご主人の保治さんは店を造り替えるのが嫌いで、古い形式のまま営業を続けてきたが、近年、近代的な店舗に改築したこの店が、会津で最も古い鮨屋であることを知っている人は少ない。

 


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