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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H12年11月9日)

奥会津に棲む神々

鼻欠け地蔵   心得違いの 若者を諭す

 南会津郡伊南村は昔、河原田氏の城下町として栄えた。

 伊南村中学校のあたりに、人間の言葉が分かるというどじょうの伝説「天沼の耳どじょう」のある「天沼」があり、ここから同郡檜枝岐村に向かう旧道沿いに、顔をそがれた「鼻欠け地蔵」がひっそりと立っていた。信心深い村人が建立した子安地蔵尊といわれている。

 昭和四十年代、やぶの中を探したがなかなか見つからず、やっと桜の古木の下にある地蔵様を発見して写真を撮った。

 伝説では、昔、村人は禁を犯し、新坂山の中腹のバクチ岩で「カンキュウバクチ」にうつつをぬかしていた。その日も遊び終えて山を下ってきた五人の若者が、人影に気づき地蔵様の後ろに隠れた。そこを通りかかったのは、江戸へ麻を商いに行って帰り道の大宅惣六であった。故郷の白沢も近いことだし、急ぎ足で山を下ろうとした。

  が、前方に人影がし急に静かになったので、これはあやしいと、わきざしの鯉口(こいぐち)を切って用心したところ、突然目の前に大入道があらわれたので、思わず切りつけた。がちんと大きな音がして、刀ははねかえされた。大入道と思ったのは、等身大の地蔵様だったのである。隠れていた若者たちも、惣六の強力(ごうりき)に驚き、そのまま家に帰った。昨夜のことを不審に思った惣六が、山に登ってみた。なんとそこには、鼻を切り落とされた地蔵様が、寂しく立っておわした。慈愛深い面立ちだったのに、何と罪深いことをしてしまったのか、と惣六は悔やんだ。

 それから誰が言うことなく「鼻欠け地蔵」と呼ばれるようになった。心得違いを論された若者たちは、以後きっぱりとバクチをやめ、懸命に働くようになった。

 伊南村の大火も見、その後の繁栄も見守ってきた鼻欠け地蔵である。しかし村人から忘れられてしまうのは残念と、古町の芳賀照友さんが渡部直三郎・芳賀啓介・芳賀フクエ・星トモエ氏らと共に御堂を建立した。山から下ろされ、古町字千刈中谷クリニック前に移された鼻欠け地蔵こと「天龍地蔵菩薩(ぼさつ)」に 、また以前のように手を合わせる人が多くなった。


【文・写真 村野井幸雄】

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