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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H12年8月31日)

奥会津に棲む神々

栃餅祭   集落を守る文化は重く

郷土料理のごちそうが並ぶ。右下が栃もち
 「おーい、祭りだから遊びにこいや」。南会津郡舘岩村水引(みずひき)集落の茂田さんから祭りへのお誘いの電話がきた。旧暦の四月一日、集落恒例の栃餅祭(とちもちまつり)だ。

 水引集落は湯ノ花温泉から少し入った、わらぶき屋根の多く残る三十二戸の集落で、昔ながらの原風景を今に伝えている。さかのぼること室町時代、獲物を追った二人の猟師が、集落入口の湧き水のそばに住んだことが村の起源となり、この湧き水が集落の語源とも言われる。

 茂田さんの家では囲炉裏を囲み、祭りのご馳走が並ぶ。赤飯、吸い物、昆布巻等々。馴染みの顔ぶれが、宴の酔いとともに、昔話に華を咲かせていく。「毎年賑やかなのは、この祭りぐらいだなぁ。天神様や薬師様祭も、祖父さん祖母さんばかりになった」

 昔、田代山の豊富な栃材を切り出した元気な若衆も、多くが七十歳を過ぎている。

 「村の子は全部で八人だ」「少なくなったなぁ、分校のあった頃は良かったなぁ」「そんじぇも、村に子供の声があるからいい。朝も夕も挨拶してくれるだけで楽しいなぁ。人の子も家の子もねぇくれぇ、めんげぇもんなぁ」三十二戸、八十八人のうち八人の子供は「集落の宝」だとも言う。

 「愚痴ばっかり言ってねぇで、餅でも食えや」栃餅名人のヒサ子ばあさんの餅が振る舞われる。栃餅祭には、集落の全戸で栃餅がつかれ、それぞれの客をもてなす。いつの間にか、客の間で「栃餅祭」と言われるようになった由縁である。

 栃餅は非常食で、米が貴重だった昔の、精一杯のもてなしだったといえる。ここに集落のおきてがある。彼岸過ぎに「栃の実拾いの日」を決め、みんなで平等に拾いあうのだ。「ネズミが引ききれねぇくれぇ実がなっても、歳を取って栃の実背負いきれねぇ」

 栃は三十年で実を持つと言われ、食べるまでには、水にさらし、皮をむき、灰であくを抜くなど、気の遠くなるような工程を踏んでようやく食することが出来るが、この集落でも囲炉裏で薪を燃やす家は一戸。あく抜きの良い灰もとれない。

 山に残った栃の実は毎年芽を出し森を育てていくが、村を守っていた文化をどうすれば残すことができるのだろうか。

 帰りに頂いた栃餅は、何とも言えない重みがあった。

【文 小勝政一・写真 奥会津書房】

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