新聞掲載コラム
奥会津に棲む神々
生きる
奥会津書房の出版物
電子出版
新聞掲載コラム

朝日新聞福島版連載のコラムです。(H13年6月27日)

生きる

からむし栽培
    
 斎藤 清左衛門さん 昭和村 89歳

からむしは昭和のいのち

 
   俺(おれ)は八つになる頃(ころ)、初めてからむしの皮剥(かわはぎ)ぎを習った。

 二年ほど、ごく短いのを剥いでからワタクシを剥いだ。ワタクシは丈が足りない細いのだが、引いた原麻は質が良くていい値が付いたから、子供の小遣いになったんだ。でも俺は、早く川さ魚取りに行きたくて、いい加減にやってた。そうすっと親父(おやじ)に怒られっから、仕方なしにやってるうちに覚えちまったなぁ。

 十一歳になると陰苧(かげそ)を剥いだ。盛んな頃はカサがあるから、剥いでるうちに指が減って血が出た。からむし触ると手が汚れて落ちねぇんだが、朝早く草刈ってると、朝露で不思議ときれいになんだ。

 からむしは剥ぐに三年、引くに五年っていう。

 養蚕が盛んになると、からむしをやめる家も増えた。山や川は昔も今も変わらないが、からむし畑はいつの間にか少なくなったな。山の間の畑が一番いい。風が来ないし、陽(ひ)が早くいらっしゃる。

 昭和二十三年頃から区画整理が始まって畑も少なくなった。からむし引く女たちもいなくなったしな。でも四人の娘には、小学校出る頃からワタクシを引かせてたから、今でもからむし引きやってるよ。

 おじいさん、親父、俺まで三代、からむしの仲買やった。俺の子供の頃は、越後から八十里峠を歩いて買いに来た人たちが、家に泊まってにぎやかだった。現金収入のほとんどが麻とからむしで、からむしの方がいい金になったから、一生懸命やるしかなかったんだな。

 いい糸作るには、上手にからむし引くだけじゃねぇ。一番大事なのは原料の根だし、畑の土を作るところからやらなきゃなんねぇ。土が良くないと、いいからむしは育たねぇから。昔は、里芋植えて土をうんと肥やしてから、からむしを植えた。根を植えるときは、男と女一緒にやるが、刈り取りと皮剥ぎは男、苧(お)引きは女の仕事と決まっている。

 春の畑焼きのあと、風除けに立てる垣は、よく伸びた小茅と決まってた。垣に使かわねぇ小茅を焼き草にして、からむしの上に撒(ま)く。茎の太い草だといつまでも燃えて、苧麻の根まで焼いてしまうが、小茅だとちょうど良く燃えるんだな。

 根もいろいろある。何でもそうだが、いいのは悪い奴(やつ)に負けやすいから、いい根だけ残すようによく面倒みてやる。そんなこと分かってる人も、今じゃ少なくなった。
 七十年間毎年、夏になるとからむし剥いできた。虫に葉を食われた年は、茎に陽があたって真っ赤なのしか取れなかった。良いのが取れた年は、村のお宮にお供えしったけな。

 いい原麻を採んのが昭和村のいのちだ。こんな手間のかかるもん、今の時代には合わねぇのかもしれねぇ。だが昭和のからむしは、ほかのとは違うと思うな。いいもんだ。
 無くしたら寂しいな。

(奥会津書房編集部)

>> もくじへ戻る


奥会津書房案内通信販売会員募集お問い合わせリンク集
Copyright 2001 okuaizu-syobou,all rights reserved.