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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H13年4月26日)

生きる

炭焼き   川野 寿 昭和村 75歳

切っては焼きその繰り返し

 
   生まれは茨城なんだよ。ここ(昭和村)には二十一歳の頃、開拓者として来たの。なんでここに来たかつってもなぁ、あの頃はなんのことねぇ、食うことだけだから。来たばっかりの頃は、人の食うようなものは食えなかったよ。米一合くらいに山の草採ってきて一杯にして食うしかなかった。

 来た当時は十戸ぐらいあった。出身はばらばら。開拓の仕事は共同作業だから、楽しくやれたしね。それが、終わりごろにはあっち行きこっち行き、ばらばらになっちまった。離農して埼玉に行った人もいるし、辛くなっちまったんだな。残ったのは六軒だ。

 仕事は、ここは炭焼きしかねえ。あとは畑ほじくってただけ。木を切っては焼き、切っては焼きしてた。ほんとは葉っぱがほきて水が上がんねぇ頃が、水分が少なくて一番いいんだ。

 作ってたのは白炭。黒炭も少しだけ。どうやってやるかつうと、木を窯に入れて火を入れて五日目に燃えきっちまうから、消して三晩くらい置いて窯から出して、また木を入れて焼く。その繰り返し。気ぃ付けんなんねのは、入れた木に火が全部移るか移んねぇかを見極めることだ。移ったら火を小さくしんなんねぇ、そうじゃねえと木が燃えきっちまう。窯の前と後ろさ穴開いてっから、ここにふたかぶせて穴を小さくして、じわじわと焼くんだ。時間かけて焼かねぇと軽くてやっこくなっちまう。

 どうやって見極めっかつうと、白い煙がだんだん青くなってきて、最後には煙が上がんなくなる。そしたら穴を密閉して火を消して三日置く。それでも口開けたばっかりは熱いよ。顔の辺りがぴりぴりする。

 同じように焼いても、良く出来っ時とそうでねぇ時とある。だめな時っつうのは、あんまり火が付きすぎて辛いような煙が出んだ。そうすっと目方が付かねぇ。後ろ前の穴の調節をうまくして、だんだんと焼いていくんなんね。やっぱここまで出来るには二、三年かかるよ。今だって同じようには出来ねぇからね。やったりやんねかったりすっと、余計そうなる。けっこうむずかしだよ。

 昔の暮らしぶり? 今っ頃だと朝五時頃起き出して、一日中木ぃ切って焼くだけだ。それを雪のある時は雪ぞりに乗せて、場所の悪いとこは二俵くれぇ自分で背負い上げて山から下ろす。山が急な場合は転ばしてな。替えてた。今年はここの場所の木を切るっていうとその近くに窯作って、それから次の年はここって移ってくんだ。泊まり込む小屋は作んなかったね。冬でも毎日歩って通ってたし、着る物も食べ物もなかったから、別の場所に暮らすなんてことはできなかった。今でこそ道路が通ったけども、その頃は途中までやっと荷車転ばせるくれぇで。林道できる昭和三十年頃までは、そんなことやってたかな。

 昭和四十年頃にやっと開拓地も良くなってきて、だんだん農業に切り替えて、ようやく人間らしい生活ができるようになった。まあ、冬は何も出来ねぇから炭を焼いてたけども。

 今は夏場はやんねぇ。焼いた炭はうちで使い切れねぇから、欲しいちゅう人にくれてるよ

(奥会津書房編集部)

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