BOON文化シリーズ
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BOON 文化シリーズ 4

 

  -奥会津- 縄文の響き

 

縄文巡礼

                  室井光広
むろいみつひろ
作家 福島県下郷町生まれ 1994年、芥川賞受賞
著書に「おどるでく」「縄文の記憶」等多数。

私は縄文教の信者である。
祈りの内実において信仰と変わりない。

 

信仰としての縄文

 私は縄文教の信者である。教祖もおらず経典もないのだから宗教と呼ぶことはためらわれるけれど、祈りの内実において信仰とかわりないと考えている。

 縄文教のカミを祀るわが祈りのありようを簡潔に表現した一節を「神々との物語」(奥会津書房)からまず引いておきたい。「見えざるカミの住まいは、自然界の全てに及ぶという。この世ならぬものを映すという水にも、小さな石くれにもカミが在るとすれば、人間も亦、自らのうちにカミを内在させている。だからこそ響き合う」。

  ヨーロッパには、何か解らないことがあったらそれについて一冊の本を書くといいという格言があるそうだ。その格言にあやかるつもりで、私も数年前、縄文に関して一冊の本を書いた。「縄文の記憶」(紀伊国屋書店)なるタイトルが、まるで昔から決まっていたかのように降ってきた時、私はこの世界に、単なる仕事の領域を越えて取り憑かれるだろうという予感を抱いた。本をつくりあげ、気づいてみるとまぎれもない縄文教の信者になっていたのである。

  考古学的な知識が増すにつれ、縄文世界の客観的な全貌が少しは解りかけてきた。だが、この私にとって最大の謎−「縄文遺物に接する時、自分はなぜこれほどまでに感動してやまぬのか?」については解らぬままだ。湧き出るココロ清水ともいうべきこの感動を信仰の核心部分に据えてもよいと私は思った。

 畏敬する文人小林秀雄のエッセイ「美を求める心」の一節を思いおこす。彼はひと頃「土器類に凝っていた」という。今は昔の話だが、どこやらの骨董店のショーウィンドーに実に雄大な縄文土器が出ていた。小林は驚いて眺めた。東京にいる無数の客が、どうしてこんなものをここに放って置くかわからぬ気がした。ミロのヴィーナスにパリ街頭を歩かせたらどんな事になるかというロダンの言葉を考えながら、彼はさっそく店に入ってこれを買った。ところが、自宅に運ばせる途中で割ってしまった。

  「がっかりしたのが病みつきで、代わりを捜さないと気が済まない。併し土器の大物なぞ、店売りしているものではないから、辺鄙なとこまで足を運ばねばならず、而も持ち主は大概変人と定っていて、賞めたら最後売りはしない。どうしても商売人に捜せ捜せとうるさく言う事になる。・・・」と小林の文はつづく。縄文は骨董品としての売り買いの対象から一応外れているはずだから、こんな風景はもはやありえないだろうが、信者には取るに足りないことが気にかかる。割ってしまった縄文土器はどうなったのか。完形品でなくなった段階で二束三文のものとして処分されたのだろうか。・・・

 

作男と「縄の文学」

  私は時に自らを作男などと呼んだりする。南会津山間の七軒しかない縄文的村落の百姓家に生れた出自と現在のなりわい−といえるかどうか怪しいが−貧しい創作男を重ねた呼称である。

  その作男の眼に、縄文学なる学問の名は「縄の文学」と、縄文人も「縄の文人」などとよめてしまう。東京での生活に息苦しさを覚えた齢四十過ぎ、作男は日本最大の縄文貝塚密集地として知られる千葉へ転居し、本格的に「縄の文学」を読みはじめた。その深奥はきわめ難いとしても、不可視の長いつるべ縄で基層の井戸水を汲まんとの思いを強めたのは、むしろ本を出した後だった。以来五年近く、行乞雲水の心持ちで近傍の野や畑を歩きづめに歩いて拾い集めた土器のかけらが、箱に入りきれず作男部屋に散乱している。

  先のエッセイの中で小林秀雄はこうも書く。「私の土器時代はだいぶ続いて、家中が土器だらけになるに順い、普通の陶磁器の肌がノッペラボオの化け物面に見える妙な感覚が生じてくるもので、これに徹底すれば変人になる。私は、或る日、家の中の薄穢(うすぎたな)さに愕然とした。滑らかな肌を軽蔑するのは、やはり偏した頭脳的作用である」。

  「縄の文学」のとりこになった作男は、ここでも、「解る、解る」とつぶやく一方、自分はあくまで「変人」としての信仰を「徹底」させたいという「偏した頭脳的作用」から逃げられない。

  小林秀雄の家にあふれた土器類は陶磁器と区別された総称であって、必ずしも縄文に限ったもののようでもない。家中を汚くしたというそれは、たぶん完形品が主だったろうとも想像される。

  作男部屋に散乱しているのは、骨董的値ぶみの対象からこぼれ落ちる欠片にすぎない。こんなものは、全国津々浦々の出土品収蔵庫に行けば掃いて捨てるほどあるだろう。

 しかし作男にとっては、「商売人」を介在させることなく、自らの手足を使い祖霊の魂の化身を拾うような心で、長い歳月の間に集められたこれらひとかけらのモノたちは、謎の後光(アウラ)が射す存在なのである。多彩な変化を作り出す縄(撚り紐)−の他にも貝殻や魚骨、竹管などの植物茎・・・といった数多くの媒体(考古学でいう施文原体(せもんげんたい))がある−による種々の縄目文様(cord mark)は、しみじみと眺め撫でさするうちに、文字が誕生する以前の「縄の文学」表現、すなわち縄文の精神を記録した特殊な点字もしくは結縄文字の一種にすら思えてくる。決して解読できないそれらの文字を変人信者は倦まず愛読しつづける。時には、旧約聖書に登場する苦悩の人ヨブが陶器の破片で腫れ物をかいた如く、“泥縄版文書”に触れることで不幸を癒すことさえできそうな思いに捕われるのだ。

 小林秀雄が愛蔵していた古信楽(しがらき)の大壺(室町時代)の写真を見て、名状しがたい溜息を洩らした日を思い出す。この種のモノが、当方などが生涯拝むことのない額の金で商取引されている現実を思うにつけ、「やれやれ有難や」のつぶやきが口をついて出た。

 酸っぱい葡萄をふり仰ぐイソップ寓話のキツネの負けおしみとうけとられるだろうけれど、変人信者はその大壺に美しさを感じ取りはしたものの、縄文土器欠片が与える類の魂のどよめきは伝わってこない。変人はしみじみと安堵した。もし、その種の血の脈動を感じたなら、貧乏人の身の上を呪うことにもなりかねなかったろうからである。

 小林の親友だった詩人の中原中也は少年の頃に書いた「古代土器の印象」と題された短詩の第一行に「認識以前に書かれた詩」と記した。作男が「縄の文学」の断片に読みとるのも原詩(ウルシ)と表記する他ないようなモノだ。

 

永遠の血脈

 文身と書いてイレズミとよむけれど、縄文はまさしく土器や土偶に刻まれたイレズミにも似た存在だ。実際、イレズミをした縄文人は多かったと想像される。作男に血のどよめきを与える「縄の文学」−土に表現された縄文人の精神世界のアヤ(文)にはそれぞれの土地・地方に固有の様式がある。言葉と同じように、新流行があった一方で決まり事に類する様式にしばられてもいた。作男が土器様式に深い関心を寄せるのは目もアヤな芸術性の故ばかりでなく、それが大和言葉(原日本語)の誕生と有縁だと考えるからでもある。たとえば、一つの土器様式の背後に一つの方言圏の存在をみてとることが可能なのである。

 原日本語でムスビという言の葉には産霊なる漢字があてられた。結縄(紐や縄でムスブ)行為が霊的な何かを産み出すと考えられたのであろう。

 作男のいいかげんな原日本語源学によれば、ムスビはムスコやムスメにもつながる。万葉人が用いた「息の緒」は命の綱や息そのものをあらわす。同じく万葉集に出てくる「おもい」には心緒という漢字があてられる。「息の緒に」で「命の限り」の意になる。とぎれることなく長く続いているものを緒で表現したのだが、息はずばり生命である。臍の緒をもちだすまでもなく、生命の緒を継ぐのが息の子としてのムスコやムスメというわけだ。ムスブもの、いいかえれば絆を作り出すものへの信仰がこれらひとかけらの言の葉の背後に横たわっている。

 実は宗教を意味する英語のreligionなる言葉も「かたく結ぶ」という行為に由来する。有限的な世界との関係をひとたび断ち切った後、絶対的な存在と再び結ばれること(religare)−それが西欧語の宗教にまつわる起源の風景である。

 広くインド=ヨーロッパの宗教の中に、「呪力」を「呪縛」とみなし、人間を加護し、また逆にそれを脅す超自然の力を「紐」や「綱」に表徴させる思想があったらしい。高名な宗教学者M・エリアーデはある著書でこう書く。「綱と結び目は人に憑きもするが、憑きから祓いもするのだ」。

 たしかに縄を持つ(もしくは身に帯びる)仏像は少なくない。東大寺法華堂の本尊「不空羂索観音」などはその代表格だ。大慈大悲の羂索つまりは縄を持って一切衆生を救済するというわけである。仏教徒に親しい数珠はこの縄のミニモデルといっていいのではないかと思われるが、ここには縄文の世界観にまつわる謎を解く鍵も隠されている。

 縄文人の場合なぜ縄というモノにこだわったのか。また、その文様をイレズミ化するのにどうして漆を好んで用いたのか。多くの謎の中でも特にその二つにしぼり、あらためて考えてみた作男の脳裡にシンプルなもののイメージが浮ぶ。それは血管というナワにしばられたわれわれ人間のカラダである。手や足に浮き立つ血管(ひいては口から肛門までつながる管)−このイノチの管こそが縄目文様を生み出すモトとなったのではないか。

 特別の土偶や土器に塗られた漆は、朱にしても黒にしても、血管が切れれば噴き出てくるわれわれの血液に似ている。赤い血は、気にふれるとたちまち黒ずむ。妖しい光の彩を放つ朱漆も黒漆も、永遠の生命力の化身とみなされていたであろうことも容易に想像される。血の代りに漆を塗りつけ、土偶や土器を聖にして魔なる特別の血の通った存在にしたかったのではないか。

 万象にカミが宿る縄文アニミズム(精霊)信仰は崇拝と畏怖の二つから成る。動物でいえば蛇はその代表格である。吉野裕子著「蛇」(講談社学術文庫)を遅ればせながら読んで驚いたのはつい最近のことだ。古代日本が蛇信仰のメッカであったことを告げるこの本によれば、蛇に対する強烈な畏敬と物凄い嫌悪、その二元の緊張が数多くの蛇の象徴物を生んだ。正月につきものの注連縄(しめなわ)はその典型、さらにはあの鏡餅までもがとぐろを巻く蛇をあらわしているというのである。吉野説に深く納得しつつ、リアリズムでは解き明せぬ縄文芸術の特徴を作男は考え併せる。蛇をかたどった装飾はたしかに少なくないけれど、それとても蛇そのものではなく一種抽象的なモチーフに変容させられている。

 蛇の古名を口縄という。漆塗りのような耀いをもつこの動物はまさしく口の付いた生ける縄である。特に脱皮するという点に縄文人は再生・ヨミガエリのシンボルをみてとったのであろう。蛇のモチーフには三角形の土偶頭部や銭形類似文など明らかにマムシをモデルにしたものも多い。

 ウルシとマムシは、縄文人が崇拝し畏怖したモノの性格をあざやかに物語る。不気味なまでの生命力をみせつけるマムシはその毒のゆえに恐れられているのは今日でも変りない。ウルシにさわればマケル。そこに神秘的で怪異な力を看取しないでいるのはむずかしい。そうした力を表現するのに縄文人は抽象と具象を同居させる方法を採用した。口縄こと蛇が絡みつき、とぐろを巻く姿を注連縄状のものに変身させられたのもこの方法なればこそだと作男は思う。

 新流行と因習、絆と拘束、憑きと祓い、聖性と魔性、崇拝と畏怖・・・こうした異なる要素をない合わせる二重束縛(ダブルバインド)の縄自体、抽象と具象を撚り合せて作るしかなかった。そう、ナワとはナワレタもの、相互に絡み合うもの−対話の産物である。糸などを、撚りをかけて一本にすることを「あざなう」とか「なう」「あむ」と表現する。禍福はあざなえる縄の如しなどというけれど、縄文人がこだわった縄は対立するモノどもを祈りと共に、あのオムスビのように一つのモノに一本化しつつ霊を産み出すというセレモニーの末に出来上ったのだ。縄をなうにもオムスビをにぎるにも、祈りの合掌と同様、両の手の出会いが必須であるが、この合一はそのまま他者とも手と心をつなぐ根源的なネットワークにいきつく。
 血脈のシンボルを種々の縄に封じ込め、さらにそのイノチの縄梯子の永遠を願う心で原詩を塗りつけもした・・・根源的ネットワークを縄の文学論ふうにいい直せばそういうことになる。

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